シュタインズゲート その7

ひとまず、鈴羽END、フェイリスEND、ルカ子ENDクリア。
鈴羽は、ハッピーエンドと言えるのかがわからない感じ、二人で過去に行こうという所で終わってしまう。
でも、2日間のループを100回以上? 繰り返すオカリンはすげーと思いました、まゆりを助けたい、でも鈴羽の思い出も
壊したくないという一心で、同じ時間を何度も何度も、オカリンかっこいいよ。
過去に何気なく飛ばしたDメール達のせいで絡まりあった今、まゆりを助けるために何かを犠牲にしなければいけない。
7章に行くためには、結局鈴羽をタイムマシンが壊れる前に1975年に飛ばす必要があったため、Dメールで鈴羽を尾行しないようにしました。
結果として鈴羽は、橋田鈴として1975年から2000年までを生きて、病気でなくなってしまいます。
鈴羽との思い出を犠牲にして7章に突入するんですが、今度はフェイリスのDメールによって変わった過去を戻す必要がある。
死ぬはずだったフェイリスのパパを助けるように送ったDメールだったため、それを打ち消す事はフェイリスのパパを殺す事。
ここにきて待たしても苦しむオカリンなんですが、このシナリオではフェイリスが別世界線の記憶を取り戻す事に。
記憶が戻った事で、今の変わってしまった未来を戻すべきとフェイリスも言うんですが、戻したくない本音が見えてしまって。
ここで、フェイリスのパパを殺さないを選ぶ事でフェイリスENDに突入、ちなみにフェイリスENDは3人のENDの中でも一番幸せだと思う。
いや、幸せだと思うのは自分がオカリンじゃないからなんですが。
過去改変によりまゆりも生き残り、フェイリスのパパも残る世界へ、ただしそこではまゆりは幼馴染でなく他人、ダルもオカリンを知らずくりすもいない、
ラボも存在していない秋葉原に。
そこではオカリンがフェイリスの恋人設定なんですがね、オカリンの孤独と悲しみだけ抜きにすれば、アナザーハッピーエンドとなりえる世界ではあるかなあと思いました。
つかフェイリスが俺を誘惑してきてもうね。
8章に行くために、今度はフェイリスの過去改変を修正、フェイリスはニャンニャンに戻り、お父さんは過去に死んでおり、秋葉もオタ秋葉へ戻りました。
所が、今度はルカ子が送ったDメールの改変を戻す必要があると。
Dメールで張ってきた伏線がドンドン回収されていくわけですが、戻す→ルカ子を男にする。
これは一見仕方ないだろうと思う所なんですが、ここでオカリンがリア充にw。
まゆりを助けるためにルカ子の想いを消すか、またしても選択を迫られるオカリン。
ここでルカ子の想いを残す、男に戻すのをやめるとルカ子END。
このENDの一番びっくりな所は、まゆりがやはり死んでしまう事、ただ死に方が誰かに殺されるとかではない、突然の心臓発作みたいな。
本当にこの世界線では、まゆりは世界の意思みたいなものに殺されてしまうんですね。
まゆりが死んで、オカリンとルカ子は共犯者としてまゆりの死を受け入れてこの世界で生きていくというEND。
自分は男の娘が出てくるゲームってアイマスとこれくらいしかやったことがないですが、シュタゲに関しては男の娘という設定がただ流行りだからとかではなく、
きちんと話に絡むようになっているのが面白いなあと思いました。
ここでルカ子を男に戻す事で、次の章に行くわけですが、まゆりを助けるために、何人もの想いを犠牲にしていかなければいけない。
それを背負わなければいけないというオカリン、あんたただの厨二じゃないぜ、かっこいい。
残りはまゆり、くりす、トゥルーエンドかな、萌郁はあるんだろうか。
フォーントリガーというシステムにより、能動的に選択肢を選ばせるというのが、シュタゲが他の分岐ゲーと大きく異なるのかなと思います。
また、1度クリアしないとフォーントリガーで電話をかけるシーンがどこなのかを会話から読み取るしかないというのも。
画面に選択肢が出て、それを選択するのでなく、そもそもの選択肢を画面に出す事からプレイヤーに委ねられてるというか。
そこらへんて、ゲームならではで面白いなと思いました、携帯電話を使うというのも最近にマッチしてるし。
最近だと、開き直ったのか選択肢すらほとんどない読み物ゲーが増えたなという気がします。
そもそも選択肢を選ぶというのでは、弟切草かまいたちの夜なんかがありますが、サクラ大戦とかでは選択肢に時間制限があったり、
時間がなくなってくると追加の選択肢がでてきたり、あえて時間切れによるもう一つの選択を選んだり。
選択肢を選ばせるという部分にも、ゲームとしての面白さを付加してたものがありましたが、結局あれなんですよね。
読み物系のメインは文章とストーリーであり、一本道でもそれがよければいいと。
むしろプレイヤーすら、固定ルートへ行くための選択肢が多かったりすると、うざったいとさえ思うようになってきているのかも知れない。
そういうところに手間隙かける時間とお金はカットして、絵とストーリーと音に向けよう。
ビジネス的にすごく割り切った考え方だし、悪いとは思わないんですが、小説でもよくね? というのはあるのかなあと。